江戸時代の町人のほとんどは長屋暮らしだった。大江戸八百八町というが、実際には延享年間(1744~47年)には倍以上の1678町あったとの記録がある。江戸の6~8割は武家屋敷、寺社が1割強、町人も1割
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『もう半分』は別名『五勺酒』ともいう。普通、居酒屋ではお酒は一合単位で提供される。もっとも一合徳利といっても、実際には8勺くらいしか入っていないことが多い。旅館などでは、普通一升瓶から徳利13本分を取
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6月といえば「ジューンブライド」というように、結婚式のベストシーズン。今ではほとんどの結婚式がホテルで行われ、新郎新婦も一時的にクリスチャンになることが多いが、江戸時代では披露宴は自宅あるいは親類に
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最も有名な落語の演目。落語を聞いたことがある人だったら、大抵知っているだろう。私も中学生のころにラジオで聞いたような記憶がある。もともとは上方落語の『貧乏花見』を東京に移し替えたもの。 話は大家さん
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1890年(明治23年)9月16日の夜、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が台風に巻き込まれ和歌山県串本沖で遭難した。海に投げ出された656名の乗組員のうち、587名は行方不明、また
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江戸っ子は蕎麦好みで、うどんのことを「あんなメメズ(ミミズ)みてぇなもん食えるか」とバカにしていた。風邪でも引いた時くらいしか食べないうどんがテーマになっている江戸落語は珍しい。それもそのはず、この噺
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『明烏』といえば、八代目桂文楽(自宅の町名から黒門町の師匠とか、口癖から「べけんやの文楽」と呼ばれた)が得意ネタにしていた。文楽が高座にあがると「待ってました、黒門町! 明烏!明烏!」という声があちこ
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暑い日が続くと暑気払いをしたくなる。これは江戸時代も同じことで、町内の若いものが集まって、食べ物や飲み物を持ち寄って、暑気払いでもしようとしたことが、この話の始まりである。暇は持て余すほどあるが金が
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文七元結(ぶんしち...
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題名となっている「百川」というのは、明治の初め頃まで実在していた懐石料亭で、黒船来航の折には幕府の命を受け、乗組員全員の300人に本膳を出し、その費用は1千両とも2千両ともいわれる。物価や人件費など
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だんだん暖かくなってきて、お花見が待ち遠しい季節となった。この月末ころが東京では見ごろだという。花見の落語はたくさんある。『長屋の花見』『あたま山』『花見酒』『花見小僧』『百年目』......。上野
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三遊亭圓朝が「酔狂連」の集まりで出された「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」の三題噺で即席に作ったといわれる。身延山を参詣した旅人が帰りに大雪で道に迷ったところから話は始まる。 当時の身延山参詣は甲州街道を
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落語『お神酒徳利』は馬喰町の大きな旅篭屋の煤払い(すすはらい)の場面から始まる。煤払いとは古くから続く日本の年中行事で、いわゆる大掃除のことである。現在でも寺社仏閣においては煤払いと称している。八百
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そろそろフグのうまい季節。しかし、昔から「ふぐは食いたし命は惜しし」というように、毒があるのが玉にキズ。落語『らくだ』では、図体が大きく乱暴者なのであだ名をらくだという男がフグを食って死ぬ。らくだの
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『ガマの油』は、3代目の春風亭柳好が得意としていた演目で、寄席などで彼が高座に上がると廻りから「ガマ、ガマ」「野ざらし、野ざらし」と声が掛かったという。この二つを得意としていた落語家で、今CDなどで
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立秋を過ぎるとそろそろサンマの水揚げのニュースが聞こえてくる。「あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝えへてよ」で始まる「秋刀魚の歌」にあるように秋風とサンマは切り離せない。佐藤春夫にとっては「さんま
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シラス不漁から今年の鰻は高いものになった。暑い夏の土用の丑の日に鰻を食べるという習慣は、平賀源内が仕掛けたといわれる。販売不振に苦しむ鰻屋が源内に相談したところ、「本日土用の丑」と書いて渡し、「これを
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夏が近づくと庭の植物に水をまいてやることが多くなる。江戸時代、長屋住まいの熊さん、八っさんもちょっとでも空いた場所があると、鉢植えの植物を植えて楽しんでいた。余裕のあるご隠居さんとなると、庭を持って
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「火事と喧嘩は江戸の華」といわれる。「華」などとはやしてはいるが、それは他人事である場合に限る。昨年亡くなった立川談志ではないが、自分のところが燃えたとしたら、それは災難である。長屋の住人ならいざ知
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江戸時代、年末は1年分の貸し借りを清算する時。掛け取りが走りまわり、借金のある方は何とか年のあけるまで粘ろうとする。現在の年末とは全く違う風景だった。この際松の雰囲気の名でよく掛けられるのが『芝浜』
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「長者番付」と言うと毎年発表される高額納税者公示制度や、米誌フォーブスの世界長者番付などを思い出す人も多いだろうが、落語となるとちょっとひとひねりしている。弥次郎兵衛、喜多八の「東海道中膝栗毛」に出
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『野ざらし』と言っても何のことかわからない人も多くなっているのではないだろうか。現代の日本社会で、人骨の野ざらしを見ることはまずないだろう。江戸時代にはよくあったそうで、隅田川に死体が流れてきたのを
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酒の上での喧嘩はよくあることだが、武士の世界では刀を持っているだけに切りあいになることが多い。しかし、武士というものは刀を抜く以上自分の命をかける必要があった。切り捨てごめんといってもそれなりの理由
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前回書いた『居酒屋』では、客が店に入っていくと小僧が「宮下へお掛けなさい」という場面がある。店の鴨居の一画に大神宮がお祭りしてあって、客は「大神宮様の下で宮下? 電車の停留所みたいなこと言いやがったな
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先代の三代目三遊亭金馬がよくかけていた話である。「居酒屋も一刷毛塗ればバーとなり」という、たぶん金馬自作の川柳をまくらに、居酒屋に客が入っていくところから始まる。客と居酒屋の小僧との掛け合いが面
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落語と酒というテーマではすでに多くの本が出ている。ここでは、わたしが落語を見たり聞いたりしたときにふと思ったことや、逆に酒を飲みながら話題になったことなどを中心に、不定期に穴埋め代わりに書いてい
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