記事のアーカイブ

落語と酒⑮『鰍沢』

三遊亭圓朝が「酔狂連」の集まりで出された「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」の三題噺で即席に作ったといわれる。身延山を参詣した旅人が帰りに大雪で道に迷ったところから話は始まる。当時の日蓮宗総本山身延山久遠寺参詣は甲州街道を通って甲府へ出て南に下るルートと、東海道を興津まで行きそこから北上するルートがあった。甲州街道は、日本橋から始まり最初の宿新宿から小仏峠を越え、さらに崩落事故のあった笹子トンネルの上の笹子峠を越えて甲府に入る。旅人はこのコースで甲府から鰍沢を経て身延山に参詣し、その帰り道再び鰍沢の辺りにきたとき、吹雪に見舞われたのである。吹雪に合うと辺り一面真っ白になり、方向が全く分からなくなるとい
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落語と酒⑭『お神酒徳利』

煤払い(すすはらい)とは古くから続く日本の年中行事のことを指し、いわゆる大掃除のことである。現在でも寺社仏閣においては煤払いと称している。 落語『お神酒徳利』は馬喰町の大きな旅篭屋の煤払いの場面から始まる。八百屋さんが煤払いとは関係なくあるお店を訪ねるところから始まるものもあるが、年末なので、煤払いの方で話を進める。主人公の通い番頭が、お神酒徳利を掃除中に壊すといけないと思い、水がめの中に入れておく。ところが掃除の後、帰り際に徳利が見つからないが知らないかと聞かれ、忘れていて「知りません」と言って帰宅する。帰ってしばらくしてからひょっと思い出すが、今さら「知ってました」ともいえず、ソロバン占い
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落語と酒⑬『らくだ』

 そろそろフグのうまい季節。このごろは大変高いものになっているが、養殖も進み比較的安く食べられるチェーン店も出てきている。しかし、昔から「ふぐは食いたし命は惜しし」というように、毒があるのが玉にキズ。落語『らくだ』では、図体が大きく乱暴者なのであだ名をらくだという男がフグを食って死ぬ。らくだの兄弟分が訪ねてきて発見するところから話が始まる。 らくだは文政4年(1821年)にオランダ船でヒトコブラクダが渡来し、長崎商人に売られ、見世物として大坂や江戸の両国で評判となった。らくだを始めて見た江戸っ子は、その大きな図体にびっくりすると同時に、「何の役に立つんだ?」と思ったらしい。そこで、図体の大きな
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落語と酒⑫『ガマの油』

『ガマの油』は、3代目の春風亭柳好が得意としていた演目で、寄席などで彼が高座に上がると廻りから「ガマ、ガマ」「野ざらし、野ざらし」と声が掛かったという。この二つを得意としていた落語家で、今CDなどで聞けるのはこの二つだけである。 30年ほど前、会社の旅行で筑波山の山頂近くに宿をとったことがある。この宿の女将さんが宴会の時にガマの油売りの口上をやってくれた。この口上、もともとは浅草の奥山で長井兵助(ながいひょうすけ、永井とも書く)が、居合抜きを見せながら歯磨きを売ったり歯の治療をしていたりしたのが、ガマの油を売るようになったという。現在、筑波山ガマ口上保存会がこの口上を伝えており、20代目永井兵
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落語と酒⑪『目黒のさんま』

 立秋を過ぎるとそろそろサンマの水揚げのニュースが聞こえてくる。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」にあるように秋風とサンマは切り離せない。佐藤春夫にとっては「さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか」だが、落語の世界ではサンマは実に美味たるものになる。なにせ野駆けのお殿様(将軍様とする話もある)が賞味して忘れられない味になってしまったのだから。秋に北海道から東北、関東の太平洋岸で取れるサンマは、脂が乗っていて焼いて食べると実にうまいものだ。サンマはやっぱり焼いて食べるのが一番、それに柑橘類の汁をちょっと絞って食べると御飯なら何膳も、お酒なら何杯も入ってしまう。菊正宗のお燗がいい。谷川俊太郎の詩に次のような
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落語と酒⑩『素人鰻』

シラス不漁から今年の鰻は高いものになった。暑い夏の土用の丑の日に鰻を食べるという習慣は、平賀源内が仕掛けたといわれる。販売不振に苦しむ鰻屋が源内に相談したところ、「本日土用の丑」と書いて渡し、「これを店に張って置け」。その通りにしたら、たちまち客が殺到したとのこと。その後、ある鰻屋が、土用の丑の日に焼いた鰻とそのほかの日に焼いた鰻を同じ条件で置いていたところ、丑の日の鰻は腐らなかったとかいう話まで作られ、これという根拠もないまま、今に至っている。・丑の日にぬらくらした物を食ひ・丑の日は亭主額へ筋を出し 『素人鰻』は「黒門町の師匠」と呼ばれた八代目桂文楽がうまかった。原話は噺本『軽口大矢数』(安
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落語と酒⑨『青菜』

夏が近づくと庭の植物に水をまいてやることが多くなる。江戸時代、長屋住まいの熊さん、八っさんもちょっとでも空いた場所があると、鉢植えの植物を植えて楽しんでいた。余裕のあるご隠居さんとなると、庭を持って植木屋さんを呼んで手入れをしてもらうことになる。 仕事ももう終わりかけた頃、庭の全体の様子を見ながら一服する植木屋さんに声をかけ、まずは水の撒きかたの上手なのを誉める。次いで、自分も今飲んでいるところだと「大阪の友人からもらった『柳蔭(やなぎかげ)』」を勧める。植木屋さん、「幽霊みたいな酒ですね」と言いながら一口飲んで「旦那、これは『直し』ではございませんか」。 関西で『柳蔭』、関東で『直し』という
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落語と酒⑧『二番煎じ』

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれる。「華」などとはやしてはいるが、それは他人事である場合に限る。昨年亡くなった立川談志ではないが、自分のところが燃えたとしたら、それは災難である。長屋の住人ならいざ知らず、財産も店もある町内の旦那衆にとっては、火事は心配の元。特に冬の北風が吹く季節は火事が起こりやすいうえ、番太(木戸番。町を区切る辻々に造った木戸の番人)に任せておいては不安が残ると、旦那衆が自ら夜回りに出ることになったというのがこの話の発端である。二組に分かれて回ることになり、先に回った組が主人公となる。 この噺は、江戸で元禄3年(1690年)に出版された『鹿の子ばなし』の中の「花見の薬」という
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落語と酒⑦『芝浜』

 江戸時代、年末は1年分の貸し借りを清算する時。掛け取りが走りまわり、借金のある方は何とか年のあけるまで粘ろうとする。現在の年末とは全く違う風景だった。この際松の雰囲気の名でよく掛けられるのが『芝浜』である。 主役は棒手振りの魚屋の金さん。棒手振りというのは天秤棒で飯台(魚を入れた桶)を担いで売り歩き、注文によってはさばいたり刺身にしたりしてお客に渡す商売。腕はいいが酒が大好き、しかも飲み始めると徹底的に飲まなければ気が済まないというたち。当然翌日の仕事には気がはいらない。ずるずるとお客を失い、とうとう貧乏のどん底に。酒の悪い面が表現されている。ある日心を入れ替え、女房に尻を叩かれて芝の浜に魚
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