落語と酒②  『居酒屋』

 先代の三代目三遊亭金馬がよくかけていた話である。「居酒屋も一刷毛塗ればバーとなり」という、たぶん金馬自作の川柳をまくらに、居酒屋に客が入っていくところから始まる。客と居酒屋の小僧との掛け合いが面白い。何ができるかと聞く客に「できますものはつゆはしらたらこぶあんこうのようなもの、ぶりにおいもにすだこでございますぴぇ~」と答える。客はさっぱり分からないと何度か言わせたあげく、「今言ったものなら何でもあります」と言う小僧に「じゃあその『ようなもの』というのをくれ」と注文。この場面は秀逸で人口に膾炙(かいしゃ)しており、1981年には森田芳光監督で『の・ようなもの』という題で映画もできている。

 時代を映してこのメニューには焼き鳥など肉は入っていない。しかし肴としての栄養バランスはかなりしっかりしている。「つゆ」は何のつゆかは分からないが、水分不足を補ってくれる。「柱」は貝柱のことで、ビタミン、ミネラルにも富み、血圧を安定させるなどの効果があるタウリンに富む。鱈は魚なのでたんぱく質があり、肝細胞の酵素を増やしてくれ、肝機能の低下を防ぐ。昆布はミネラルの塊のようなものだし、鮟鱇はヒアルロン酸やコラーゲンに富む。鰤もDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)を多く含み、記憶能力を増やすと同時に、動脈硬化や糖尿病などの生活習慣病の予防効果があるといわれている。芋は食物繊維に富み、便秘解消に役立つうえ、胃腸のためにもいい。酢蛸の酢に含まれるクエン酸はカルシウムなどミネラル分の吸収を助けるので、骨や歯を丈夫にしイライラ解消、疲労回復にも役立つ。蛸は良質なたんぱく質のほかタウリンを多く含有している。こうしてみると小僧の「ぴぇ~」に至るまでの立て板に水のような、お客には極めて分かりにくいメニューの朗読の中身は、実に大したものなのである。

 小僧に客に何回か言わされたあげく、「上の小壁に書いてあります。書いてあるのは何でもできます」と言う。そこでまた客は「くちうえってのをひとつ」とか言っては小僧をからかう。さらに「どぜうけ」から「『と』ににごりがあると『ど』、にごりがつくとみんな音が変わります」という小僧に「『い』ににごりをつけるとどうなる」などと言ってからかうのも面白い。ちなみに、「どぜうけ」は「泥鰌汁」のこと。浅草・駒形のどじょう屋が看板に書くときに、江戸時代の本来の描き方では「どじやう」あるいは「どぢやう」と書くべきなのだが、4字では縁起が悪いと3字の「どぜう」にしたとのこと。

 最初にお酒を注文するところが面白い。小僧が「お酒は澄んだんですか濁ったんですか」と聞くのを「濁ったのなんか飲めるか。澄んだんに決まってらあ」というくだりがある。そのあげくにきた澄んだ酒もあまりうまくない。「甘口辛口ってのはあるが酸っぱ口ってのは初めてだ」。そのお酒の名が「兜正宗」。「頭にきそうな酒だな」

最近でこそ濁り酒は見直されてきているが、ついこの間まではどぶろくとして相手にされないでいた。しかし、濁っているからといって、見向きもしないというのはいかがなものか。それこそ「飲まず嫌い」ではないだろうか。確かにこれと決めたらそれ以外は一切口にしないという人も少なくない。英国人は朝ご飯はミルクティーとベーコンエッグと決めている。フランス人はカフェオーレとクロワッサンだ。ある時英国人に、同じものばかりで飽きないかと聞いたことがある。彼が言うには「英国風ブレックファストは世界で最高のものである。他の物を食べるのは最高でないものを食べることになる。そのように損になることはしたくない」。

約40年前、大学に入って京都に行ったが、節分に吉田神社の沿道に年越しそばや串カツ屋などの屋台や出店が並ぶ。京都では、暦の上の1月1日のほかに、節分を新しい年を迎える日としている。その屋台のひとつで「月の桂にごり酒」を飲んだのがにごり酒との初めての出会いだった。あまりにもうまかったのでいまだにその名前を覚えている。『居酒屋』の客のように、お酒は清酒だけと決め付けていたらこの出会いはなかったことになる。いろいろな人との出会いは人生を明るくしてくれる。同じようにいろいろなお酒との出会いを楽しみたいものだ。