歌舞伎と酒②『鳴神(なるかみ)』

 7月早々に猛暑が到来し、局地的豪雨や落雷で、何人かの方が亡くなった。雷の「かみなり」は神様がお怒りになっている怒りの声「神鳴り」だという。順番が変わると「鳴神」となる。ちなみに、「稲妻」は文字通り、稲の妻で、豊作をもたらすものだと考えられていた。最近、科学的にも、雷の放電現象で、窒素を土に固定化して田畑を富ませる効能があるといわれている。
 歌舞伎の『鳴神』は、『雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)』という長い芝居の一部である。歌舞伎十八番のひとつであるが、『雷神不動北山桜』には、十八番のうちの三つ『毛抜』『不動』と『鳴神』が入っている。
 歌舞伎十八番は天保3年(1832年)、八代目市川團十郎の襲名披露興行の際に、七代目(團十郎を譲って五代目海老蔵に戻った)が選んだもの。この時上演された『助六』のほか、17の演題を列記した刷り物を贔屓の客に配った。ただその内容は現在伝えられているのとは少し違っており、天保11年(1840年)に『勧進帳』が現在演じられる形で上演された時点で、歌舞伎十八番が確定したといってよい。ちなみに「十八番」を「おはこ」というのは、この書付を立派な箱の中に入れ、大切に扱ったためである。残りの13番は『暫(しばらく)』『矢の根』『外郎売(ういろううり)』『関羽』『象引』『七つ面』『解脱(げだつ)』『嫐(うわなり)』『蛇柳(じゃやなぎ)』『鎌髭(かまひげ)』『不破』『押戻(おしもどし)』『景清』。
 構想の鳴神上人は、朝廷の依頼を受け、「変成男子の法」で皇子誕生を実現する。胎内で女であったものを祈祷によって男子に変えるという秘法。お礼として戒壇(僧になる資格を与える場所)を作る許可をもらえるはずだったのに、朝廷は一向に約束を果たさないので、上人はすべての竜神を滝壺に閉じ込め封印をしてしまう。このため雨が全く降らなくなり、朝廷は雲絶間姫(くものたえまひめ)を遣わし、封印を解かせるよう命じる。
 姫は亡き夫の供養をお願いしたいと上人に近付き、女も酒も知らない上人をたらしこむ。この場面、余りにも色っぽ過ぎると、戦時中は上演禁止となっていた。
 姫は亡き夫とのなれそめや、生前の二人の話などを聞かせる。そのようなことにはまったく無知である鳴神上人は、夢中で聞き入っているうちに壇上から転げ落ちて気絶してしまう。
・鳴神はしてしてどうだなどと濡れ
絶間姫は滝の水を口移しに上人に飲ませ、上人は気がつくが、同時に中国の一角仙人が通力を失った故事を思い出し姫を疑いの目で見るようになる。『一角仙人』は能のひとつで、歌舞伎の『鳴神』と同じストーリーであるが、江戸時代の観客は同時に、洗濯する女性のすねを見て通力を失い空から落ちてしまった久米仙人のことを思い出したはずだ。
・鳴神は雲の上まで堕落する
姫は疑いをもたれたことで、自ら死んでその誠を証明すると言って池に飛び込もうとする。上人はそれを見て納得し、髪を下ろし天になるように勧め、二人の弟子に剃刀を買いに行かせる。二人だけになった時、姫は癪(しゃく)を起こす。癪というのはおなかが痛くなることで、女性の病気とされる。男の場合は疝気(せんき)。落語の『疝気の虫』では男から女の体に移ってしまった虫が、嫌いな唐辛子水から逃げようと「別荘」を探すが「ない......」というのが落ちになる。癪は便利な病気で、女性はすぐに「あ、癪が」となる。
・よしなんし触ると癪が起りんす(遊女は気に入らない客には仮病の癪になる。「~なんし」「~りんす」は吉原独特の言葉。地方から出てきた遊女の方言をなくすために独特の話し方をさせた。明治以降の日本の軍隊の「~であります」も同様の役割をもつ)
・一分出し夜の明ける迄癪を押し(一分=一両の四分の一も出したのに、仮病の癪に付き合わされた)
鳴神上人は姫の手練手管にはまり、「癪が起ったのでさすってほしい」と頼まれる。「どこが痛い」「そこです」「ここか」と、襟元から手を差し入れて、「小豆のようなものあるがこれは何か」などときく場面では笑いも起きる。
こうして姫の術中にはまった鳴神上人は、二世の固めの盃を交わすと言われ、飲んだことのない酒を飲まされることになる。勧められるままに何杯も飲んで、酔っていくさまも、見ている方をちょっとハラハラさせる。姫は酔った上人から封印の解き方を聞き出す。やがて、酒に弱い上人は眠ってしまい、姫はそのすきに滝壺に張ってある注連縄(しめなわ)を切り落とし、竜神を解放し都へ帰ってしまう。
 雨が降り出し、上人は目をさまして、だまされたことを知る。そして、怒りのあまり、髪は逆立ち着物も炎と変わる。ここからが市川團十郎家のお家芸である「荒事」が繰り広げられる。鬘(かつら)と隈取りが変わり、着物が「ぶっ返り」という方法で白地に赤の炎の柄に一瞬にして変わる。そして「柱巻きの見得」「不動の見得」の後、姫を追いかけて「飛び六方」で花道を退場する。
 『鳴神』は貞享元年(1684年)に初代市川團十郎が江戸中村座の『門松四天王』で上演したのが最初。寛保2年(1742年)に二代目團十郎が上演した『雷神不動北山桜』が現行のもととなっている。七代目によって歌舞伎十八番に選ばれたが、八代目が嘉永4年(1851年)に上演して以来絶えていた。九代目が好きでなかったからともいわれている。明治43年(1910年)に2代目市川左團次が復活上演し、現在では人気演目の一つになっている。
 また『雷神不動北山桜』の通し公演は昭和42年(1967年)に、二代目尾上松緑によって国立劇場で復活、最近では市川海老蔵が演じた。
『鳴神』まさに「世の中に酒と女は敵(かたき)なり」を地でいったような芝居である。もっとも大田蜀山人の狂歌では、この後に「どうぞ敵にめぐり合いたい」と続くのだが......。