歌舞伎と酒⑦ 『新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』

 『新皿屋敷......』とあるように、この歌舞伎は『播州皿屋敷』を換骨奪胎した河竹黙阿弥晩年の傑作である。『播州皿屋敷』は、享保5年(1720年)に京都で歌舞伎『播州錦皿九枚館』として上演された記録がある。次いで寛保元年(1741年)には浄瑠璃『播州皿屋敷』が大坂の豊竹座で上演された。また宝暦8年(1758年)には講釈師の馬場文耕が『皿屋敷弁疑録』という題で、舞台を江戸の番町に移した。現在『皿屋敷』というとこの講釈がもとになっており、五番町の千姫の吉田御殿跡に屋敷のあった火付盗賊改、青山播磨守主膳と下女のお菊の話となった。十枚揃いのお皿のうちの一枚を割ってしまったため手討ちになって井戸に投げ込まれたお菊の幽霊が夜ごと現れ、「一枚二枚......」と数え、九枚目を数え終わった後「わっ」と泣き伏す怪談である。

 これが落語となると、この幽霊を見に毎晩人が集まるようになり、「さあ、泣くぞ......」と期待に胸をふくらませて待つ。ある晩、「九枚......わっ」と泣かないで、「十枚、十一枚......」と続け、「十八枚」まで数える。見物が「どうしたの」と聞くと「明日休みにするのでその分」。

 『新皿屋敷......』は明治16年(1883年)に東京の市村座で初演された。五代目尾上菊五郎が「生世話物で酒乱の役を演じたい」と黙阿弥に頼んで書き下ろしてもらったという。黙阿弥は、旗本磯部主計之介と魚屋宗五郎という、殿様と庶民の二人の酒乱を造ったばかりか、菊五郎のためにお蔦という役も造った。

 旗本磯部にみそめられ妾奉公することになったお蔦は、ある晩逃げた猫を探しに屋敷内の弁天堂に行ったところ、用人の岩上典蔵がお家乗っ取りの陰謀をたくらんでいるのを聞いてしまう。典蔵はかねてよりお蔦に横恋慕しており、お蔦が殿様から預かっている井戸の茶碗を盗み出し、それを種にお蔦を自分のものにしようとするが、じゃれついてきた猫に驚き茶碗を割ってしまう。お皿十枚のうちの一枚の代わりに茶碗にしている。しかも井戸に投げ込む話を思い出させようと「井戸の茶碗」にしているところが面白い。

 「井戸の茶碗」は朝鮮の日用雑器だったものが輸入されて茶道に使われ、一躍銘品となった。比較的深い茶碗なので、井戸のようだというところから「井戸茶碗」と言われるようになった。落語『井戸の茶碗』では落ちぶれた浪人の所持品となっていた。国宝の「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」は慶長年間に大坂の豪商竹田喜左衛門が所持していたが、落ちぶれて手放し、転々とした後松平不昧公の手に渡り、その死後、夫人が弧蓬庵に寄贈した。

 典蔵は茶碗を隠してお蔦をおびき寄せ、手込めにしようとする。そこへ浦戸紋三郎が駆けつけて救うが、典蔵に帯を奪われてしまう。典蔵は意趣晴らしにくわえ、お家乗っ取りの陰謀を聞かれたのではないかと疑い、殿様の磯部に、お蔦と浦田が密通していると讒言する。酒癖 

 旗本磯部にみそめられ妾奉公することになったお蔦は、ある晩逃げた猫を探しに屋敷内の弁天堂に行ったところ、用人の岩上典蔵がお家乗っ取りの陰謀をたくらんでいるのを聞いてしまう。典蔵はかねてよりお蔦に横恋慕しており、お蔦が殿様から預かっている井戸の茶碗を盗み出し、それを種にお蔦を自分のものにしようとするが、じゃれついてきた猫に驚き茶碗を割ってしまう。お皿十枚のうちの一枚の代わりに茶碗にしている。しかも井戸に投げ込む話を思い出させようと「井戸の茶碗」にしているところが面白い。

 「井戸の茶碗」は朝鮮の日用雑器だったものが輸入されて茶道に使われ、一躍銘品となった。比較的深い茶碗なので、井戸のようだというところから「井戸茶碗」と言われるようになった。落語『井戸の茶碗』では落ちぶれた浪人の所持品となっていた。国宝の「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」は慶長年間に大坂の豪商竹田喜左衛門が所持していたが、落ちぶれて手放し、転々とした後松平不昧公の手に渡り、その死後、夫人が弧蓬庵に寄贈した。

 典蔵は茶碗を隠してお蔦をおびき寄せ、手込めにしようとする。そこへ浦戸紋三郎が駆けつけて救うが、典蔵に帯を奪われてしまう。典蔵は意趣晴らしにくわえ、お家乗っ取りの陰謀を聞かれたのではないかと疑い、殿様の磯部に、お蔦と浦田が密通していると讒言する。酒癖が悪い磯部が酔っている時に讒言し、割れた茶碗と帯を証拠としたので、磯部はかっとなってお蔦を手討ちにしてしまう。普通はこの場面は上演されず、次の「芝片門魚屋内」の場だけ、またはそれより後だけの上演となる。そのため、この芝居を『魚屋宗五郎』と呼ぶことが多い。

 芝片門魚屋内の場は、芝神明のご祭礼の祭り囃子が聞こえるなか、お蔦を偲んでいる魚屋の室内。遺族がお悔やみの客と話しているところへ、お蔦の戒名をもらった宗五郎が帰ってくる。初演では菊五郎がお蔦と宗五郎の二役をやり、喝采を受けた。宗五郎は酒乱の癖があり、金毘羅様の禁酒の願を掛けたばかり。磯部の仕打ちに怒る父親や女房などを、磯部家のおかげで今の暮らしができるのだとなだめる宗五郎。そこへ磯部家でお蔦付きの下女だったおなぎが角樽をみやげに線香を上げにやってくる。おなぎから事の次第を聞いているうちに、宗五郎の怒りが膨らんできて、とうとう禁酒を破って酒を飲んでしまう。一杯くらいはと大目に見ていた家族も、次第に酔っていく宗五郎を見て止めにかかるが、もう止まらない。とうとう角樽の酒すべて、約1升を飲んでしまい、酔っぱらった宗五郎は角樽を片手に磯部の屋敷に掛け合いに飛び出していった。

 宗五郎が徐々に酔っぱらっていくところがこの芝居の見どころの一つ。酒乱を知っているので酒を飲むのを止めようとする家族と、それをかわしながらどんどん飲んでしまう宗五郎とのやり取りが面白い。飲兵衛というものは、お酒を飲むためには、こんなことまでも考えつくものだという例が次々と出てくる。宗五郎役は五代目菊五郎から六代目に、次いで二代目尾上松緑へと伝わった。最近は七代目菊五郎のほか、松本幸四郎、故十八代目中村勘三郎、坂東三津五郎、前進座の中村梅之助などが演じている。

 二代目松緑は『松緑芸話』の中で「片口へ水を入れてそれを湯呑に注いでいき、何杯でもってこれが終わるかを量って目安に」したとか、「(角樽から)片口へ注ぐ時、だんだん傾けて酒が少なくなったことを表さねばならない」とか、宗五郎のお酒の注ぎ方についての演技について語っている。平成21年(2009年)3月に国立劇場でこの芝居を通しで上演したが、その時の監修をした尾上菊五郎は「六代目菊五郎の宗五郎が評判になった時、六代目が『おやじよりいいだろう』と言ったら、五代目の弟子のひとりに『いやいや、五代目は魚の臭いがしましたよ』と言われたそうです」と書いている。

 さて、磯部邸に暴れ込んだ宗五郎は、玄関先で典蔵に殺されそうになるが、家老の浦戸十左衛門のおかげで助かる。その十左衛門に宗五郎が「酔って言うんじゃございませんが......」と心の内を訴えるセリフは見どころの一つとなっている。訴え終わった宗五郎は寝てしまうが、十左衛門は足軽に庭に連れていくよう命じる。庭で目覚めた宗五郎のところへ磯部が現れ、酔いに任せてお蔦を手討ちにしてしまったことをわびる。典蔵らの陰謀も露見して、めでたしめでたしとなる。

 殿様と庶民の二人の酒乱が引き起こした事件と、お家乗っ取りの陰謀をからめた芝居で、最後はめでたしとなるが、現実の酒乱の場合、必ずしもめでたしとならないことが多い。お酒は飲んでも酒乱にはならないように飲みたいもの。また酒乱を自覚している方は、ぜひこのお芝居を見ていただきたい。もっとも自覚している方は少ないと思うので、関係者が連れて行っていただきたい。