落語と酒①

落語と酒というテーマではすでに多くの本が出ている。ここでは、わたしが落語を見たり聞いたりしたときにふと思ったことや、逆に酒を飲みながら話題になったことなどを中心に、不定期に穴埋め代わりに書いていきたい。

『試し酒』

『酒だより』200910月号に掲載された藤川鉄馬会員の『お酒を飲むのは時間の無駄』というエッセイの中に、次のような話があった。

テキサスの大男がパブにやってきて、大声で言った。「アイリッシュは、皆、大酒飲みと聞いた。ここに500㌦ある。ギネスを10パイント(1パイントは570㍉㍑)、立て続けに飲んだ奴にはこの500㌦をあげるぞ」。誰も応じることはできなかった。1人の男はバーを立ち去り、それから30分ほどして戻ってきた。そして10パイントのギネスに挑戦し、見事に飲み干した。テキサスの男は500㌦を渡しながら訊いた。「30分間、お前は何をしていたのだ」「別のパブに行って、10杯飲めるかどうか試してみたんだ」

『試し酒』では大店の旦那とその下男が、やはり大店の別の旦那のところへ行くところから話が始まる。旦那同士が話しているうちに、下男が大酒のみであることが話題になり、「じゃあ5升飲めるか」という賭けになる。下男は「ちょっと待ってくれ」と言ってどこかへ出かけ、帰ってきて「じゃあ飲みましょう」と言って出された5升の酒を飲み干す。相手の旦那が不思議に思い、「いったいどこへ行って何してきたのだ。特別なおまじないでもあるのか」と聞くと「5升の酒は今まで飲んだことがなかったので、近くの酒屋で飲めるかどうか試しきた」。

どちらが古いのかは知らないが、このふたつはまったく同じ話である。『試し酒』は落語研究家今村信雄の昭和初期の新作落語といわれている。一方、明治時代の落語を速記で掲載した雑誌『百花園』の明治24年3月号に外国人落語家、初代快楽亭ブラックの『英国の落語――試し酒』というのが掲載されているとのこと。またこのころ、快楽亭ブラックが『ビールの賭け飲み』という落語を演じたという話も伝わっている。とすれば、快楽亭ブラックが、藤川会員の書いた英国のジョークを寄席で紹介したのかもしれない。また、古い中国笑話の中に同様の話があるともいう。調べれば見つかるかもしれないが、現時点ではわからない。

 実際にお酒をこんなにたくさん飲めるものだろうか。笑話にするには量が多いほどおかしみは増すことになるので、だいぶ誇張はされているだろう。江戸時代の酒の飲み比べについて、いくつかの記録が残っている。

『里見八犬伝』で有名な滝沢馬琴の『兎園小説』に柳橋の万八楼で行われ酒合戦の話が載っている。ただし、馬琴自身が参加したり実見したわけではなく、また聞きを記したもの。ちなみに万八楼は、万屋八郎兵衛の経営していた料理茶屋で略して「万八楼」と言われた。「万八」というのは、せんだみつおの芸名の元である「千三つ」と同じく、ほとんど本当のことを言わないとの意味で、江戸時代にはよく使われた。

文化14年(1817年)旧暦3月23日に行なわれた大酒飲み大会の第1位は芝口の鯉屋利兵衛(30)で3升入りの盃で6杯半、1斗9升5合を飲み干した。しばらくの間倒れ、目を覚ましてから砂糖を溶かしたお湯を茶碗で17杯飲んだという。2位は明屋敷の者としか書かれてないが、3升入り盃で3杯半の1斗と5合、3位は小田原町の堺屋忠蔵(68)で3升入り盃3杯の9升であったという。

 東京農大の教授だった小泉武夫先生が、江戸時代の記録に残っている方法で酒を造ったところ、含まれるアミノ酸の量が現在の4倍近くあったという。つまり、上手に薄めればアルコール度数が4分の1くらいになっても「うまい酒」として通じたともいえる。当時の酒は流通のあらゆる段階で薄められており、その技術で売れ行きが違ったという。

・新川へ玉川を割る安い品(下り酒問屋のある新川の良い酒を、多摩川の水で薄めて量を増やす)

・百薬の調合をする居酒店(数種類の酒を混ぜ合わせて安く美味しい酒を造る。流通各段階で割った)

アルコール分が現在の4分の1ならば、あるいはこの程度飲めたかもしれない。


歌舞伎と酒①

歌舞伎と酒⑧『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつかい)』 

 「月も朧(おぼろ)に白魚の......」 で有名な七五調のセリフが並ぶ河竹黙阿弥の代表作。お嬢吉三、お坊吉三、和尚吉三の三人が出会い、義兄弟となり、一緒に死んでいくという話。安政7年(1860年=3月18日に万延に改元)1月市村座での初演。 お坊吉三の父、安森源次郎は将軍から名刀庚申丸を預かっていたが、その刀を盗まれてしまい、源次郎は切腹、安森家は断絶となる。盗んだのは和尚吉三の父伝吉。この伝吉の次の子が、お嬢吉三に百両奪われたおとせとその双子の兄十三郎。十三郎は八百屋久兵衛に養子に出され、道具屋の木屋の手代になっているが、夜鷹のおとせと兄妹であることは2人とも知らず、愛し合う関係になってし
続きを読む

歌舞伎と酒⑦ 『新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』

 『新皿屋敷......』とあるように、この歌舞伎は『播州皿屋敷』を換骨奪胎した河竹黙阿弥晩年の傑作である。『播州皿屋敷』は、享保5年(1720年)に京都で歌舞伎『播州錦皿九枚館』として上演された記録がある。次いで寛保元年(1741年)には浄瑠璃『播州皿屋敷』が大坂の豊竹座で上演された。また宝暦8年(1758年)には講釈師の馬場文耕が『皿屋敷弁疑録』という題で、舞台を江戸の番町に移した。現在『皿屋敷』というとこの講釈がもとになっており、五番町の千姫の吉田御殿跡に屋敷のあった火付盗賊改、青山播磨守主膳と下女のお菊の話となった。十枚揃いのお皿のうちの一枚を割ってしまったため手討ちになって井戸に投げ
続きを読む

歌舞伎と酒⑥『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)』

 『梶原平三誉石切』、通称「石切梶原」は、人気狂言の一つで、最近東京では今年正月の「歌舞伎座新開場柿葺落 壽初春大歌舞伎」の昼の部で上演された。その前は昨年5月の同じく五月大歌舞伎、その前には平成23年(2011年)6月の新橋演舞場での公演があった。その間京都南座でも平成24年12月に上演しており、ほぼ毎年1回は上演されている狂言である。もとは享保15年(1730年)大坂竹本座初演の人形浄瑠璃『三浦大助紅梅靮(みうらのおおすけこうばいたづな)』全五段が原作。そのうち三段目「星合寺の段」が元である。現在の歌舞伎では、この場面だけしか上演されない。 梶原平三景時は義経を讒言したというところから、江
続きを読む

歌舞伎と酒⑤『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』

 今年のお花見はいかがでしたか。江戸の花見の名所は上野、飛鳥山、隅田川沿い、御殿山など沢山あったが、もうひとつ有名だったのが吉原。特に夜桜が名物で、遊郭だというのに女性の見物も許されていた。アムステルダムの飾り窓が男性ばかりでなく女性観光客の人気スポットになっているのと同じようなものだ。その吉原の中央を通る仲の町は、桜の季節には花見の道となった。『東都歳時記』(天保9年=1838年、斎藤月岑)によると、寛保元年(1741年)の春に、茶屋の軒下に鉢植の桜を飾ったのが評判になり、翌年からは桜の木を移植し、花期が過ぎると抜き去るのが恒例になったという。延享2年(1745年)には桜の木の下に山吹を植え
続きを読む

歌舞伎と酒④『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』

 今年は歌舞伎座新開場杮葺落(こけらおとし)公演とあって、11月、12月と続けて『仮名手本忠臣蔵』を通しで上演する。11月は菊五郎、吉右衛門、梅玉、左團次などベテランの「吉例顔見世大歌舞伎」、12月は菊之助、海老蔵、染五郎など若手に幸四郎、玉三郎が抑えに回る「十二月大歌舞伎」という具合である。国立劇場では、「知られざる忠臣蔵」としてひとひねりした忠臣蔵関連の芝居を吉右衛門、魁春、芝雀などで上演する。 忠臣蔵は「芝居の独参湯(どくじんとう=高麗人参の薬湯。起死回生の漢方薬として知られる)」といわれるほど、上演すれば大当たりをとる作品とされていた。仮名手本忠臣蔵は実際の事件を元に書き上げられた人形
続きを読む

歌舞伎と酒③『勧進帳(かんじんちょう)』

 歌舞伎と言えば『勧進帳』と言われるほどこの出し物は有名。弁慶が何も書いてない巻物を手に朗々と読み上げる場面は、歌舞伎を見たことのない人でも知っている。新聞記者が原稿を電話で送る時、手元にメモだけを置いて送る事を業界用語で『勧進帳』といっていた。このころはファクスがようやく使われ出したころで、B5の半分の大きさの原稿くらいしか送れず、設置してあったのも官邸記者クラブくらいだった。このため電話送稿は原稿を届ける大事な方法の一つだった。海外支局からはテレックスで送っていた。ローマ字で送り、アルバイトが日本語に直していた。このため、電話送稿と同じく、今でいう「変換ミス」がよくあった。最近の送稿は、パ
続きを読む

歌舞伎と酒②『鳴神(なるかみ)』

 7月早々に猛暑が到来し、局地的豪雨や落雷で、何人かの方が亡くなった。雷の「かみなり」は神様がお怒りになっている怒りの声「神鳴り」だという。順番が変わると「鳴神」となる。ちなみに、「稲妻」は文字通り、稲の妻で、豊作をもたらすものだと考えられていた。最近、科学的にも、雷の放電現象で、窒素を土に固定化して田畑を富ませる効能があるといわれている。 歌舞伎の『鳴神』は、『雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)』という長い芝居の一部である。歌舞伎十八番のひとつであるが、『雷神不動北山桜』には、十八番のうちの三つ『毛抜』『不動』と『鳴神』が入っている。 歌舞伎十八番は天保3年(1832年)、八代目
続きを読む

歌舞伎と酒①『寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)』

 今年も早2月となりました。これまで「落語と酒」という形で連載してきましたが、今回から「歌舞伎と酒」という連載と交互に行いたいと思います。原稿が十分ある時は休載させていただく予定です。(『酒だより』2013年2月5日号より)           ...
続きを読む

ニュース

「落語と酒」「歌舞伎と酒」の転載開始

  『酒だより』に連載した「落語と酒」「歌舞伎と酒」の転載をはじめました。まだ全部ではありませんが、徐々に追加していきます。 『酒だより』そのものは、pdfの添付ができないのでまだ貼り付けることができません。どなたかpdfを張り付ける方法をご存じでしたらお教えください、
続きを読む

訪問者注意

頻繁にウェブサイトのニュースとイベントを訪問してくれる方たちへお知らせしましょう。ウェブサイトを常に最新の状態に保ち、訪問者が定期的にサイトに訪れてくれるようにします。読者に直接新しい記事を配信するためにRSSフィードを使用することができます。
続きを読む

ウェブサイト開設

本日新しいウェブサイトを開設しました。  お酒と歌舞伎と落語、それに杖道についてごちゃごちゃと書いてあるサイトです。お暇つぶしにでもご覧ください。
続きを読む