落語と酒④『禁酒番屋』
2024年08月12日 12:12
酒の上での喧嘩はよくあることだが、武士の世界では刀を持っているだけに切りあいになることが多い。しかし、武士というものは刀を抜く以上自分の命をかける必要があった。切り捨てごめんといってもそれなりの理由がなければならない。ある武士が、走ってくる町人を追いかけてきた侍に「斬ってくれ」と頼まれるままに切り捨てたところ、その侍はいなくなってしまい、斬った理由を認められず死刑になったという例もある。
ある藩で酒がもとでけんかがあり、1人が斬り殺され、斬った方は翌朝素面に戻ったところで切腹。1度に2人の家来を失ったお殿様は一切の禁酒を申し渡した。藩邸内に酒の持ち込まないよう見張る番屋ができ人呼んで「禁酒番屋」というようになった。しかし、ほとぼりがさめるとまた飲みたくなるのは酒飲みの性。禁止されるとますます破りたくなるものだ。お菓子のカステラだと言って持ち込み、許可を取ったところで持ち上げるのに「どっこいしょ」と言って「お菓子が重いものか」と見破られ、「この偽り者めが」とお酒を没収されてしまう。油だといっても見破られ、結局、2升ただ飲みされてしまう。
カステラが日本に入ってきたのは戦国時代。南蛮貿易でにぎわう長崎に、ポルトガル人によってもたらされた。「カスティーリャ王国のお菓子(カスティリアボーロ)」という前の方だけとった名前になってしまったもの。江戸中期には長崎から江戸にも広まり、製法や味も日本化されていった。お菓子というより栄養補給食品として広まったため、大根おろしやわさびをつけたり、吸い物の具にしたり、水に浸して食べたという。江戸庶民は食べたことはなくても、そのような高級菓子があるということは知っていたようだ。だから持ち上げるときに「どっこいしょ」では見破られてしまう。
ただ、この演出は、1995年に落語家で初の人間国宝になった5代目柳家小さんが始めたという。いつのことだったか、イイノホールに小さんの噺を聞きに行ったことがある。枕は『葛根湯医者』で、どんな患者にも葛根湯を進めるやぶ医者の噺だ。ところが話している途中「す、だんだん聞き取りにくくなってきた。「すみません。声が出なくなってしまいました。代わりに百面相をやらせていただきます」。「それなら葛根湯を飲め」と声をかけたかったが、まだ若かったし、歌舞伎の大向こうの経験もなかったので何もできなかった。しかし、お座敷にでも呼ばないかぎり見ることのできない小さんの百面相を見ることができたのはラッキーだった。
禁酒に関する小噺や川柳はそれこそ山ほどあるが、もっとも有名な小噺。
ある夜、茶碗で酒を呑みかけているところへ、友だちが来て、「ヤア、おまえは禁酒したと言ったじゃないか」「サレバ、願立てがあって、一年間禁酒することにしたが、二年にのばして、昼の内ばかりやめて、夜はお許しにした」「フウ、それならば、ついでのことに、三年の禁酒にして、夜も昼も呑んだらよい」。(禁酒「聞童子」)
大田蜀山人の狂歌に
・わが禁酒破れ衣となりにけり
さしてもらはう、ついでもらはう
「酒をさす」と「針を刺す」、「酒を注ぐ」と「布を継ぐ」をかけた当意即妙の歌
同じく禁酒を破ることになった理由を詠んだ川柳も多い。
・鉄砲の鍋で禁酒を打破り(鉄砲=フグ。当たると死ぬから)
・一とふしの刺身願酒をつい破り(初鰹が登場したとなれば禁酒を続けられなくなる)
・付け差しで禁酒を破るはしたなさ
川柳では酒を飲まなくなっては世の中が詰まらないということを詠んだものが多い。
・禁酒した目にはつれなき雪月花
・禁酒して見れハ興なし雪月花
・禁酒して何を頼みの夕しぐれ
・医者のいふ事を守れば夜が長し
・無刀で帰宅仕(つかまつ)り以後禁酒(酔って帰宅したものの、どこかに刀を忘れた。武士として最大の醜態。始末書をまねた文章調)
・禁酒だとおっしゃりませと袴腰(出かけようとする夫が袴を着用するのを手伝っている妻の言葉)
・禁酒してむすこおやじをはむく也(はむく=へつらう、ご機嫌をとる。酒は止めても女遊びは適当にということだそうです)
・かるい落馬に禁酒やぶるゝ
・酒屋の禁酒こゝろもとなし (武玉川10篇)
私の友人が医者に酒を控えるように言われた。ちょうどその頃、テレビが赤ワインの健康効果を喧伝してブームになっていた。そこで、赤ワインは体に良いそうだがどうかと訊いてみると、医者はにべもなく「飲みたきゃ何でも飲めばいいじゃないですか」と言って横を向いたという。彼は観念して禁酒した。まあしばらくの間だったけれど。
禁酒したくても、そばに酒があればつい呑みたくなってしまうのが呑兵衛と言うもので、酒好きの酒屋に禁酒と言ってもまあ無理でしょうね。
禁酒の曰ク呑うかナア味りん 柳樽八九・37
落るのハ雷リ瘧(おこり)後家禁酒 柳樽一三八・32
禁酒をすると憎く成人
から樽で禁酒を誓う三が日