落語と酒⑦『芝浜』
2024年08月12日 12:21
江戸時代、年末は1年分の貸し借りを清算する時。掛け取りが走りまわり、借金のある方は何とか年のあけるまで粘ろうとする。現在の年末とは全く違う風景だった。この際松の雰囲気の名でよく掛けられるのが『芝浜』である。
主役は棒手振りの魚屋の金さん。棒手振りというのは天秤棒で飯台(魚を入れた桶)を担いで売り歩き、注文によってはさばいたり刺身にしたりしてお客に渡す商売。腕はいいが酒が大好き、しかも飲み始めると徹底的に飲まなければ気が済まないというたち。当然翌日の仕事には気がはいらない。ずるずるとお客を失い、とうとう貧乏のどん底に。酒の悪い面が表現されている。ある日心を入れ替え、女房に尻を叩かれて芝の浜に魚を仕入れに出掛けるが、早く着きすぎ、浜で一服しているときに革の財布を拾う。中には二分金が100枚=50両という大金が入っていた。4分で1両、4朱が1分という4進法。1両は今の値段で約10万円。500万円拾ったとすれば、さあどうする......。
『芝浜』は三遊亭圓朝が「酔っぱらい」「財布」「芝浜」の三題話として作ったという説もあるが定かではない。明治22年(1889年)に三遊亭小円太(後に初代金馬)が「芝浜の革財布」という題で話したという記録があるが、この噺を今の形に仕上げたのが3代目の桂三木助。作家で評論家の安藤鶴夫とともに練り上げた。人情話なので、歌舞伎でも大正11年(1922年)に「芝浜革財布」という外題で初演され、現在でも時々舞台にかかる。こちらでは魚屋の政五郎になっている。
数年後の大みそか。すべての借金は払い終え、掛けも少しは残っているが、まあいいやと新しい畳になった部屋でのんびりと福茶を飲んでいる魚屋の金さん。落語『芝浜』の後半部である。生活に余裕のできた今、女房がもう禁酒を説いてもよかろうと、これまでの訳を説明して「今夜は大晦日で、おめでたく年を送るんだから、お祝いに一口飲んで貰おうと思って、お酒もお肴も取っておいたから、サアこれからゆっくりと飲んでおくれ」と酒を勧めるが......。
魚市場は関東大震災を機に築地に移り、さらに現在豊洲に移るかどうかでもめているが、江戸時代、魚河岸といえば日本橋。徳川家康が本能寺の変の時、摂津の国の佃村の両氏に救われたことから、江戸に移る時その村の者を江戸に招いた。そして江戸湾の漁業権を与え、収獲の一部を江戸城に献納させ、残った魚の販売を許した場所が日本橋である。客は大名屋敷や旗本、それ都心に住む豪商が中心。これに対し芝浜は目の前の漁場で取れた小魚を扱い、庶民の台所であった。目黒のサンマもこの辺で水揚げされたもの。禁酒した後の金さんが芝浜で生きのいい魚、それもアジ、サバ、イワシなどを仕入れ、棒手振りで町内を売り歩く姿が目に浮かぶ。スローライフの時代だった。