落語と酒⑨『青菜』

夏が近づくと庭の植物に水をまいてやることが多くなる。江戸時代、長屋住まいの熊さん、八っさんもちょっとでも空いた場所があると、鉢植えの植物を植えて楽しんでいた。余裕のあるご隠居さんとなると、庭を持って植木屋さんを呼んで手入れをしてもらうことになる。
 仕事ももう終わりかけた頃、庭の全体の様子を見ながら一服する植木屋さんに声をかけ、まずは水の撒きかたの上手なのを誉める。次いで、自分も今飲んでいるところだと「大阪の友人からもらった『柳蔭(やなぎかげ)』」を勧める。植木屋さん、「幽霊みたいな酒ですね」と言いながら一口飲んで「旦那、これは『直し』ではございませんか」。
 関西で『柳蔭』、関東で『直し』というのは焼酎とみりんのカクテル。江戸時代、夏の飲み物として、井戸などで冷やして飲んだ。1990年代にウイスキーの酒税が下がり焼酎が上がった時、本直しの税金は低いままだった。そのため飲用酒としての販売量が急増したが、発泡酒などと同じく税務署が見逃すはずがない。2000年の酒税法改正で焼酎と同じになり、以後売り上げは激減、現在ではほんのわずかな業者が製造しているだけとなった。直しという言葉自体、今ではこの『青菜』で出てくるくらいであろう。氷に焼酎とみりんを入れて適度に薄めて飲めばいいのであって、自分の好みの比率にして作ればいい。
 みりんは江戸時代には大変高いものだった。元は戦国時代に中国から入ってきた『蜜淋酎(みりんちゅう、蜜が滴るような甘く濃いお酒)』だといわれる。それに色々な当て字ができ、現在では『味醂』が一般化している。慶長7年(1602年)の奈良・般若寺の記録には、みりん1升が65文で清酒の3倍したとある。天保14年(1843年)の『三省録』にその時代の酒屋の引き札(広告)が載っているが、それによると極上味醂酒1升100文とあり、大阪上酒42文、伊丹極上酒80文より高い値段が付いている。
江戸の中期、正徳2年(1712)の『和漢三才図会』には「味醂酒は近頃たくさん造られるようになり、下戸や女性がよく飲む」と書かれている。その飲み方は、5対5の焼酎割りで、江戸末期の『守貞謾稿』にでてくる『柳蔭』と同じ飲み方である。
・味醂酒が効いたで嫁は琴を出し(固辞していたのに酔って度胸が据わり琴を弾く気になった)
・味醂酒で真っ赤な誠の面汚し(弱い味醂酒で酔って顔が真っ赤になった。真っ赤な嘘、面汚し)
・味醂酒も茶碗で飲めばすごく見へ(女性の酒という味醂酒だが、茶碗で飲むとすごい)
・褒めぬこと嫁味醂酒が嫌い也(初々しいはずの嫁が「味醂酒が嫌い」と言うのは、言外に普通の清酒の方が好きだということで、感心できない)
 江戸後期になるとみりんはもっぱら調味料として使うことが多くなった。砂糖が薬屋で売られほど高価なものであったため、甘みを出すのにはみりんの方が安かったためだろう。現在でもみりんを飲むのは正月のお屠蘇くらいかもしれない。
 さて、植木屋さんはその後、菜ごちそうになることになるが、ご隠居さんが奥さんに言いつけると、「鞍馬から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官」と答える。ご隠居さん「それなら義経にしておけ」。これが隠し言葉だと聞いた植木屋さん、早速自宅でやってみるが......。