落語と酒⑩『素人鰻』
2024年08月12日 12:25
シラス不漁から今年の鰻は高いものになった。暑い夏の土用の丑の日に鰻を食べるという習慣は、平賀源内が仕掛けたといわれる。販売不振に苦しむ鰻屋が源内に相談したところ、「本日土用の丑」と書いて渡し、「これを店に張って置け」。その通りにしたら、たちまち客が殺到したとのこと。その後、ある鰻屋が、土用の丑の日に焼いた鰻とそのほかの日に焼いた鰻を同じ条件で置いていたところ、丑の日の鰻は腐らなかったとかいう話まで作られ、これという根拠もないまま、今に至っている。
・丑の日にぬらくらした物を食ひ
・丑の日は亭主額へ筋を出し
『素人鰻』は「黒門町の師匠」と呼ばれた八代目桂文楽がうまかった。原話は噺本『軽口大矢数』(安永2年:1773年)の「かば焼」、または『大きにお世話』(安永9年:1780年)の「蒲焼」。
明治維新後、武士は士族となったものの、扶持米の代わりに秩禄公債を受け取ることになった。これを元に「士族の商法」をはじめたが、失敗する者が続出した。ここにある旗本、奥方や娘と汁粉屋を開業しようとしたが、「神田川の金」という鰻職人に「酒を出した方がもうかる。自分が鰻を料理するので鰻屋にした方がいい」との勧めにしたがって鰻屋を開く。ところがこの、腕はいいが酒癖の悪いのが玉に疵。開業した日の夜、御苦労さまと飲ませたのが大失敗、金は酔って大騒ぎ。結局寝かしつける羽目に。翌日謝ったものの、その後も仕事の後に金は酔っては飛び出す。何日かは朝に戻ってくるが、ある日、開業時間にも戻ってこない。御旗本は自分で鰻を割くと言い出すが、鰻をつかまえるところから大騒動。とうとう捕まえた鰻を逃がすまいと外へ。「どちらにまいられますか」との奥方の問いに「わかるものか、前に回って鰻に聞いてくれ」。
プロの職人なら
・ぬらっかする間にちょいと錐を刺し
・鰻さき襟形をちょん背筋ずい
・ちょんばたりついついついと鰻さき
と、見ている前であっという間にさばくが、
・口程にうなぎのさけぬ料理人
もおり、素人となると、落語のように
・素人の握りこぶしを鰻出る
・割く事はおいて鰻とつかみ合う
もう一歩進んでも
・錐よ金槌よと素人の鰻
・血だらけな鰻の側に折れた錐
・素人にや横裂けのする鰻なり
その挙句
・鰻を丸で貰ったも困る物
・釣って来た鰻是非なく汁で煮る
今のうなぎは天然ものはほとんどなく、台湾沖などで捕獲したシラスを鹿児島、愛知、宮崎、静岡などで養殖している。浜名湖の養殖は有名だが、生産量は今や鹿児島県がトップで国産の38.4%を占めている(平成23年農林水産統計)。しかも国産は全消費量の2~3割に過ぎず、残りは輸入もの。中国や台湾産がほとんどで、最近はインドネシア、米国、オーストラリアなどからも輸入され始めている。江戸時代はすべて天然ものだが、江戸っ子は江戸近くの河川で取れる鰻だけを、今の天然もののように珍重した。「江戸前」というのは、寿司よりも先に鰻について言われた言葉だ。しかし、鰻人気が高まると江戸前だけでは間に合わない。そこで、地方からの「旅鰻」も入荷するようになった。
・丑の日にかごで乗込む旅鰻(歩いて旅をしていた時代、駕籠に載るのは贅沢。高級食材である旅する鰻も籠に乗って江戸入りした)
・いけ舟に下り鰻の旅づかれ(いったん生簀に入れ、旅の疲れをとる)
・旅鰻化粧につける江戸の水(江戸前として売れる)
・江戸ならば江戸にしておけ安鰻(江戸前でないことは皆知っている)
鰻が夏痩せに効き精力がつく食べ物だということは、昔から知られていたようで、大伴家持の作として
・石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ むなぎとり召せ
という歌が万葉集に載っている。
・蒲焼の謎を亭主は晩に解き(なぜ女房が出したのか)
鰻は蒲焼で食べるのが普通だが、今の形になったのは江戸時代の中期ころから。それまでは割かずにぶつ切りにして背骨のところに一本の竹串にさして、たれをつけて焼いていた。それがちょうど蒲の穂に似ていたので「蒲焼」といわれるようになり、割き方が変わっても名前だけが残った。蒲鉾もはじめは蒲の穂。ちくわのような形だったのだが、その後、板に張りつけて蒸すようになっても蒲鉾といわれている。
一本串のころは、鰻も屋台などで売る極めて安いものだった。
・串という字を蒲焼と無筆よみ
串も1本から2本差し、3本差しとなると格が上がってくる。
・蒲焼も筋目正しく二本差し(二本差しは侍のこと)
・鰻でも壱本差しは小物なり
・豆腐「うなぎ、おまえは日ごろ、ぬらくらして暮しているな」。鰻串「そう言わっしゃるな。これでも二本、串をさされると、屋敷のお侍として世を渡るわな」。豆腐「いや、おぬしばかりが屋敷者だと思うな。おいらも奴に使われるわさ」。(とふふうなぎ「落噺広品夜鑑(ひろしなやかん)」)
鰻屋の店先では、鰻を焼く煙を道に送り出し客を引き寄せていた。本来は、炭の上に落ちた脂が炎となりすすが鰻につかないように扇いだもの。
・江戸前の風は団扇で叩き出し
・蒲焼はあをぐじゃあなくて引っぱたき
・悪くない匂ひ鰻の鳥辺山(鳥辺山は京の火葬場)
・かぐ鼻は鰻見る目は格子先(「見る目」「嗅ぐ鼻」は死者の現世での行状を報告する閻魔大王の手下。格子先は吉原)
・鰻屋の隣茶漬けを鼻で食ひ
匂いのお代は銭の音で払う落語もある。
鰻はおいしいものの、高級品となっているだけに、やはりお勘定が気になる。
・大勢集まって「なんと、今一番有難い宗派は何宗であろう」「御門跡様(浄土真宗)さ」「イヤ、とんでもない。日本一に並びなき日様(日蓮宗)を忘れたか」「イヤ、この長数珠(長い数珠を使う日蓮宗信者のこと)めが。言わせておけばとんでもないことを言う。浄土宗があるのをしらないか」などと水かけ論の中へ、寺町の鰻屋が罷り出て、「皆様方には、味方びいきでみっともない議論をなさっておられる。どなたがなんと仰せられても禅宗ほど堅くありがたい宗旨はござるまい」。座中、口をそろえて「なぜなぜ」。「ハテ、蒲焼が現金払いだ」。(宗旨論「楽牽頭」)