落語と酒⑰『百川』

 題名となっている「百川」というのは、明治の初め頃まで実在していた懐石料亭で、黒船来航の折には幕府の命を受け、乗組員全員の300人に本膳を出し、その費用は1千両とも2千両ともいわれる。物価や人件費などがいろいろ違うので単純な換算は難しいが、1両10万~20万円として1億~2億円ということになる。これだけの料理を請け負うことができたということは、百川がそれだけ大店(おおだな)だったとわかる。しかも他店の手伝いを借りずに、食器なども全て自前でそろえたぐらいの力があった。
 百川のあった浮世小路というのは、日本橋三越本店の近く、YUITO ANNEX(浮世小路千疋屋ビル)のあたりである。江戸時代から商店の立ち並ぶ日本橋、室町の一帯で、「浮世」という名前にそぐわない街だが浮世風呂があったからとか、浮世ゴザを商う店があったからこの名がついたといわれる。
 この辺の説明をマクラで入れる噺家(柳家小三治)もいるが、もともと長い噺なので、入れないほうが多い。いずれにせよ、「百川であったことを噺にしただけのことで」で本題に入る。要は勘違いの積み重ねの話である。
 「御免くだせえまし」。田舎者の百兵衛さんが桂庵(けいあん)千束屋(ちづかや)の紹介で百川にやってきたところから噺は始まる。桂庵というのは職業斡旋所のことで、町奴の番隨院長兵衛もこの仕事をしていたという。大名や旗本などの屋敷に中間(ちゅうげん)を紹介したり、商家に下男や下女を紹介し、その身元引受人にもなった。
 百兵衛さんは初めての奉公なので何も分からないと言うが、百川の主人はその方が使いやすいし、店の名と同じ「百」が付くのも何かの縁、仕事は飯炊きや下働きなどだが、今日は目見えだから様子を見ていればいいと言う。そこに2階で手が鳴った。客は河岸の若い衆で、祭りの準備の寄り合いである。女中連中は髪をほどいてしまい、接客出来ない。そこで百兵衛さんがお客の部屋へ。
 田舎訛りで「ワシはこのシジンケ(主人家)のカケエ(抱え)人で......」と言ったのが「四神剣の掛け合い人」と勘違いされてしまう。四神剣というのは「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」の4つの神獣の絵を描いた旗がついた鉾のこと。四神は高松塚古墳できれいな彩色の絵が見つかったことで一挙に有名になった。東西南北を守り、春夏秋冬をつかさどる神のこと。「青春」「白秋」などの言葉のもととなっており、朱雀門、白虎隊などもこの詩人からつけられた。玄武岩というのは岩の割れ方が亀の甲羅のようになっているために名付けられた。皇太子のことを「東宮」というのは、これから陽が昇って天皇になるべき人という意味である。日銀総裁の黒田東彦氏の名前を「はるひこ」と読むのも「東」=「春」だからである。
 町内の若い衆たちは、昨年の祭りの後、四神剣を預かったのだが、調子に乗って打ち上げで飲み過ぎ足りない分、四神剣を質に入れてその費用を賄っていたのだ。そろそろ質屋から受け出して隣町の衆に引き渡さなければならない。こうした背景があっただけに百兵衛さんの挨拶を聞き間違えてしまったのだ。
江戸時代には、質屋は庶民にとって欠かせないものだった。通常の商売はツケにして盆暮れ勘定だったが、ツケがきかないような庶民の多くは現金での勘定だった。「文政年間漫録」(栗原柳庵著)によると、700文ほどで野菜や魚などを仕入れ、それを担いで一日売って歩いて1200文ほどになったという。ここから毎日の必要経費を引いて100~200文ほどはあまったという。しかし、雨などで売りに出ることのできない日もあったり、病気なったりすればすぐに干上がってしまう。その時にお世話になるのが質屋であった。質屋に関しては、落語の種になる小噺がたくさんある。
さて『百川』では、後ろ暗いところがある若い衆は百兵衛さんを下にも置かずにもてなす。まずはお酒をと勧めると「飲めねえでがす」。「仇の家に行っても口を濡らさずに帰る事はないというじゃありませんか」とさらに進めても百兵衛さんは飲まない、そこで「では甘いものを」と慈姑(くわい)のきんとんを勧める。そして......とりあえずお引き取り願う。
その後、百兵衛さんが百川の従業員だとわかり、若い衆は百兵衛さんを使いに出す。「長谷川町三光新道に住んでいる常盤津の師匠歌女文字(かめもじ)を呼んで来い」。江戸っ子の早口なので百兵衛さんは何度も聞き直す。若い衆はいら立って、「三光新道に『か』の字のつく名高い人だと言えばすぐ分かる。早く行って来い」。三光新道は人形町と堀留の町間にある三光稲荷神社の前の細い道。浮世小路から直線距離で東に500㍍ほどのところにある。
さて、ようやく三光新道にたどり着いた百兵衛さん。そのあたりの人に「『か』のつく偉い人」と尋ねると「鴨池玄林(かもじげんりん)先生だ、外科のお医者様だ」と教わり、受付で「河岸の若い方がケサガケ(今朝ほど)に四、五人キラレ(来られ)やして、ちょっくら先生においでいただきたい」。先生は「袈裟懸けに四、五人切られた」と聞いて、「手遅れになるといかんから焼酎1升と白布を五六反、鶏卵を20ほど用意をしておくように」と、薬籠箱を持たせて先に帰した。
。さらに大きな勘違いが......。
 年をとると勘違いや聞き違えが増えてくる。話すときにも、似たようなほかのことをいってしまうことも多い。私事ながら、ホテルのフロントで、「伝言をよろしく」と言うつもりで「電話をよろしく」と言ってしまい、「電話はできません」と断られたことがつい最近あった。ひどい時には「冷蔵庫」のつもりで「洗濯機」と言ってしまったりする。これほどひどくはなくても、皆さんにも心当たりはあるのでは......。