落語と酒⑱『文七元結』

文七元結(ぶんしち もっとい)は、文七が元結屋で成功する以前のことを描いた人情話で三遊亭圓朝の作。といっても新しい元結作りに苦労する話ではなく、「さて是から文七とお久を夫婦に致し、主人が暖簾を分けて、麹町(こうじまち)六丁目へ文七元結の店を開いたというお芽出度(めでた)いお話でございます」(三遊亭圓朝の速記本)とあっさり説明して終わる。古今亭志ん生は「お久と文七を夫婦にして麹町六丁目へ小間物屋を出して大層繁盛いたしました。人情話文七元結の抜きでごさいます」と文七と元結との関係がはっきりしないまま終えている。古今亭志ん朝は「このお久と文七とが一緒になりまして、麹町界隈で元結屋の店を開きます。文七元結の一席でございます」と終えている。つまり、最後まで、あるいは最後まで行っても、元結のことは出てこない。だいたい落語の演題というのは、寄席などで同じものが重ならないための内々の覚書のようなものだったので、ネタが分かってしまうような演題もあったりして、「この演題はおかしい」と言ったところでしょうがないのだが......。
元結というのは髪をまとめて結ぶひも。髪を束ねた元を結ぶだけのことだから、ただのひもでいいのだが、だんだんおしゃれの要素が入ってきて、専用のものが出てきた。麻糸から組みひもに移り、和紙を細長く折りたたんだり、撚ったりして使うようになった。『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(承平年間=931~938年に編集された辞書)の調度部容飾具に「鬠 音活(音かつ)和名毛度由比(もとゆひ)以組束髪也」と書かれている。さらに古く『万葉集』には元結を詠み込んだ歌がたくさんあり、糸のものと、紙を撚ったものの二通りが用いられていたことが分かる。
時代が下るにつれ、紙撚りが主流になってきたが、弱くて切れやすかったので、信州飯田の桜井文七が水糊を混ぜることによって丈夫にし、「文七元結」として売り出し、大人気を得た。同じ手法で赤と白にしたのが水引である。紙こよりに水糊を引いたことからこの名がついた。
桜井文七は美濃の人で、元禄2年(1689年)に信州飯田に移り住み、元結を改良した後、江戸の芝日陰町に店を開いて販路を拡大した。したがって、落語に出てくる文七とは全く異なる。
蛇足ながら、歌舞伎で使われる雪には、この元結が再利用されていた。使用した元結の撚りをほぐし、細長くなった紙の角から三角に切っていった。この紙きれを雪籠という目の荒い籠に入れ、ゆすると目の隙間から紙が落ちて雪が降っているように見える。三角の方がより本当に雪が降っているように見えるといわれる。しかし、明治になって断髪令が発令、男はちょん髷を結わなくなったため、元結の使用が大幅に減り、第2次大戦後には女性の髪も結いあげることが少なくなり、使用済みの元結を探すことが難しくなった。現在では普通の紙から切るようになり、三角に切るより手間のかからない四角に切って使っている。
さて、落語の主人公は本所達磨横丁に住む左官の長兵衛さん。この本所達磨横丁というのは隅田川の東岸、現在の東駒形1丁目にある横丁。江戸時代の地名でいえば南本所番場町と北本所表町をつなぐ南北に走る横丁である。ここには「唐茄子屋政談」の主人公の叔父さんも住んでいる。
年も押し詰まったころ、長兵衛さんがばくちに負けて寒い中、裸同然で帰ってくると、家では娘がいないと女房が大騒ぎ。「ばくち好きのあんたに愛想を尽かしたんだ」とけんかになるところへ、吉原の佐野槌から使いが来て、娘のお久を預かっていると告げる。長兵衛さんは女房の着物の上に使いの羽織を借りて駆けつける。三遊亭圓朝は角海老にしているが、志ん生と志ん朝は佐野槌としている。角海老は大門から入って一番奥の右側に入る京町一丁目と、吉原中央通りとでもいうべき仲の町の角にある大見世。現在も同名のソープランドや宝石店、ボクシングジムなどを経営しているグループがあるが、これは戦後の創業で直接の関係はない。しかし、志ん生は混同を避けて佐野槌という、大門から一筋目を右に入った江戸町一丁目の大見世にしている。
佐野槌で娘を預かる代りに五十両というお金を借りて戻る途中の吾妻橋で、五十両をすられた文七が身投げしようとするのを救い、五十両を与える。店に戻った文七は、何もなかったようにその五十両を主人に差し出すが、主人は浮かぬ顔。実は、すられたと思った五十両は出先に忘れてきたもので、すでに主人のもとに届いていたのだ。文七が五十両を受け取ったいきさつを聞いた主人はすぐさま行動を起こす。
一方、家に戻った長兵衛さん、女房が納得するはずがない。一晩中喧嘩をしているところへ、文七を伴った主人がお酒の切手と祝儀用の酒樽である角樽をもって現れる。しかも「お肴を用意した」。主人の合図で着いた駕篭の中には娘のお久が......。
やはり昔からお酒には肴が必要だったようだ。「本当の酒飲みは肴なんか食わねぇ」というが、胃のためには肴を食べつつ飲んだ方がいい。「さかな」は「酒菜」で酒のおかず。最も酒に合ったのが「魚」だった。酒は肴を食べながら、さらにできれば「和らぎ水」も飲みながら......。その方が結局たくさん飲める!