落後と酒⑲『酢豆腐』

 暑い日が続くと暑気払いをしたくなる。これは江戸時代も同じことで、町内の若いものが集まって、食べ物や飲み物を持ち寄って、暑気払いでもしようとしたことが、この話の始まりである。暇は持て余すほどあるが金がないのやつばかり。肴にするのにいい考えはないかとない知恵を巡らす。ここでいろいろなものが集まれば『寄合酒』となり、せっかくの材料をみんな無駄にしてしまう噺になる。

 『酢豆腐』ではせいぜい爪楊枝くらいしかない。安く数があって誰の口にも合い腹にたまらず見てくれもよい。更に衛生的でもあるという訳だ。それではさすがにというところ、糠みそ桶の底に古漬けが残っているだろうからそれを取って刻んで食べたらよいというアイデアが出る。これもにおいがつくという事で誰も桶から出すものがおらず失敗。その時、だれかが昨日の豆腐が残っていたことに気づき持ってくるが、暑い盛りに一日置いたもの、どうも臭う。

 そこへ通りかかったのが通人ぶって若いものから毛嫌いされている伊勢屋の若旦那。こいつに腐った豆腐を食わせようと一計を案じる。頂き物で舶来品だということだが、なんだか分からないと水を向けると、「まあよく手に入ったねぇ」と知ったかぶり。散々おだててとうとう一口食べさせる。何といっても腐った豆腐。鼻にはツンとくるわ目はぴりぴりするわ。これを「目ピリ鼻ツンといってこれがいいんでげす」などと言いながらついに口に入れる。一口でもまずいことこの上なし。目を白黒させているところへ「これは何というものです?」「これは酢豆腐でげしょう」「若旦那、もう一口如何ですか?」「いや、酢豆腐は一口に限りやす」

同じ話が上方落語では『ちりとてちん』となる。腐った豆腐を「長崎名産ちりとてちん」と言って食べさせる。「どんな味や?」「へぇ、豆腐の腐ったような味や......」

「ちりとてちん」というのは、三味線の音を口頭で伝えるための方法である。2007年秋から始まった朝の連続ドラマ『ちりとてちん』は落語家を目指す女性の物語だったが、その中で、主役の貫地谷しほり演ずる喜代美の祖母小梅が三味線を教える時に使っていた。

原話は宝暦13年(1763年)発行の『軽口太平楽』の「すどうふ」。

・どのようなものでも食する人がいた。ある時、安い豆腐を買ってふるまいったところ、かの男、これはいいものではないという。「いやいや悪いものではない。酢豆腐というものでござる。あなたにご馳走にこしらえました」といえば、さらに四五杯も食って「これは素人では食えないもの」。

この話は江戸っ子の気に入ったらしく、何回も形を変えて出版されている。明和5年(1765年)の『軽口独狂言巻五』では「物好きの客」というだいでつぎのようなな話が出てくる。

・「コリャ長太よ。豆腐を取ってこい。酒を一杯呑もう」「ハイ」。買ってくる。客があって忘れている。二、三日して、「ソレ、この間の豆腐はどうした」「ほんに」。桶のふたをあけて、少々食べて見る。「酸っぱぅなってございます」。折ふし物好きの客あって、「申し、酒を下さりますが、一ぱい参りませぬか。すやっこじゃが」「ソレ、ようござりましょう」。一杯呑み、豆腐を食べ、「おお、よいわ。また、変わってよいものじゃ」「よくば参りませ」「さやうなら、皆くださりましても苦しゅうござりませぬか」「アアイ。どうぞどうぞ」「それならばご免なされませ。すぐにくださりましょう。アアよかった」「また変った味で、胸がすいて、ようござりましょうがな」「サレバイナア。人にいわすと、腐ったのじゃ、と申します」。

 安永2年(1773年)の『聞上手二編』では「本粋」という題で、簡素化している。

・粋自慢のものあり。ある人、試みに、腐った飯を振舞ったところ、知らぬ顔でしているので、「もし、飯の塩梅はどうでござります」と問うてみれば、かの男、「されば、この飯などは、野暮に食わせたら、腐っていると言うであろう」。

これを、明治末から大正にかけて、初代柳家小せんが落語として完成させた。名人といわれた故八代目桂文楽が十八番にした。現在の話はほとんどこれを踏襲している。