落語と酒③『ねぎまの殿様』(2011年2月5日)

前回書いた『居酒屋』では、客が店に入っていくと小僧が「宮下へお掛けなさい」という場面がある。店の鴨居の一画に大神宮がお祭りしてあって、客は「大神宮様の下で宮下? 電車の停留所みたいなこと言いやがったな」となるが、ねぎまの殿様の場合は「大神宮様これに鎮座まします」と二拝二拍手一拝。この殿さまは家来1人を連れて雪見の途中で腹が減り、居酒屋へ入る。これが野駆けの途中で百姓家に入ると『目黒のさんま』になる。
 『ねぎまの殿様』は先代の「お婆さんの今輔」といわれた5代目古今亭今輔が、よく演じた。雪の積もったのを見た殿様が、風流を求めて向島の雪を見に出掛ける。向島の長命寺には「いざさらば雪見に転ぶところまで」という有名な芭蕉の句碑があった。川柳にもよくそのパロディーが登場する。「転ばずば翁の雪見果てがなし(翁は芭蕉のこと)」「子はこたつ親父は転ぶ所まで」「いざさらば居酒屋のある所まで」。寒い中をわざわざ出かけていく雪見をからかった句もたくさんある。「雪見とはあまり利口な沙汰でなし」「雪見とは下戸の宗旨にない図なり(酒がなくては寒くて行けない)」「下戸ならぬこそと雪見に二三人(徒然草に「男は下戸ならぬこそよけれ」とある)」「下戸ならぬ家僕はよけれ雪の供(酒の相手をさせる)」
 小咄でも俳人が風雅を求めて雪の中を出掛ける話がある。
・風雅を好む人が、雪降りにしもべを一人連れて、隅田川を目指し、蓑(みの)を着て、すたすたと真崎(まっさき=墨田川右岸にあり稲荷神社があった)まで行った。茶店に腰打ち掛け、一盃機嫌でしもべを見れば、何か考えているような顔をしている。「さては、私のうちに居るほどだから、発句(ほっく=俳句)を考えているのだろう」と思い、茶店の亭主に聞かせるように「なんと六助。至極よい景色であろう」「ハイ、景色はようござりますが、この雪には困ったものでござります」。(雪見「民和新繁」)
・俳人気取りの旦那、まだ暗いうちに起き出して雪見に出かける。下男、不満たらたら旦那のお供をする。旦那、「これ権介や、雪というのは景色はよいが、寒いものだのう。あれ、こんな時間に出歩くのはわしばかりかと思うたら、向こうからも誰やら来るわい」。権介、仏頂面で、「あれもおおかた俳人か、さもなくば泥棒でございましょう」。(雪見「金財布」)
 ねぎまというとねぎと鳥肉とを交互にはさんだ焼き鳥のことと思う人がいるかもしれないが、ここではネギとマグロを薄口醤油だけ、またはみりんなども加えて煮込んだ鍋。現在のすき焼きのように食べる。というより、明治になって牛鍋がはやり、すき焼きが日本料理の代表的なものになっていったのは、江戸時代からねぎま鍋がごく普通に食べられていたからだ。
 マグロが一般的に食べられるようになったのは江戸も後期の文化文政(1804~30)の頃。漁場が遠いうえ、江戸湾にはほとんど入ってこないため、鮮度が落ちてしまったことと、大きいので気味悪がられていた。カツオは鎌倉時代に下魚とされ、江戸時代には初ガツオ人気が出たが、マグロは江戸初期でも下魚とされていた。マグロ1本が3249万円もするなどということは考えられないことだった。文化文政時代に大漁が続き、さらに天保(1830~44)のころ漁法の改良もあって江戸に大量に流れ込んできた。これをズケ(醤油漬け)にして寿司種にしたところ、大人気となった。下魚からは脱出したとはいえ、きわめて安い魚であったことに変わりはない。殿様の食べたねぎまはまさに庶民の味だったのだ。
 噺の中で「ネギマ鍋」について「煮売屋でございますから骨付きのところ、血合いなどをとんとんとんと切って放り込む。ネギだって青い葉のところも切って......」と表現している。骨や血合い、トロなどの脂っぽいところは、ほとんど捨てられるのか肥料になっていた。当時の庶民にとってただ同然の値段で買えたのである。今ではトロは超高級食品だが、普通に食べられるようになったのは昭和30年代から。明治から戦後間もないころまでは貧乏学生のすきっ腹を埋めた食べ物だった。
 ねぎは関西では青い葉のところが中心だが、江戸では白いところだけを食べた。青いところも入れたこの居酒屋のねぎまは、それだけで安い食べ物だったということが分かる。殿様がネギを食べたとき、「うっ、なにやら鉄砲仕掛けになっているぞ、なにやらノドへ」「それはねぎの芯が飛び出したんで」というクスグリが入る。
 江戸っ子は気が短いことになっている。居酒屋に入った殿様は「出来ますものは......」と早口で言う亭主の言っていることがさっぱりわからない。隣で食べているものはと聞くと「ねぎまでござんす」「ではそのニャーとやらをもて」。いざ出てくるとマクロの赤、ねぎの白いのと青いのとで三色になっているので、殿様は「うむ、三毛のにゃーである」と納得する。
 二口三口食べた後「ササを持て」とお酒の注文になる。亭主曰く「サブロクとダリがございます。サブロクは36文、ダリは40文でございましてな、わずかな違いでございますがダリのほうがずっと品物がよろしゅうございます。灘の生一本でございます」。これはお酒の銘柄などではなさそうだ。サブロクは三六=36文のこと、ダリは下り酒の略かと思ったが、青果市場や寿司の業界での符牒で4のことをダリということが分かった。早く言えばここでいう酒の言い方は単に値段で格付けしているだけである。
 ただ、この値段が、一般的にちょっと高すぎるような気がする。川柳に「八文は味噌を片手に受けて飲み」「豊島屋でまた八文が布子を着(豆腐田楽で有名な居酒屋の豊島屋で八文の安酒でも飲めば服1枚分暖かくなる)」「十二文ほどの機嫌は謡なり」「夕立に困って下戸も十二文(居酒屋で雨宿り)」などとあり、1合8文から12文が一般的だった。今の物価に直すとだいたい4文が100円だから、200円から300円というところ。これに比べると36文、40文は900円から1000円ということになる。マグロが食べられるようになったのが天保以降だから、この話は幕末の物価上昇期以降に作られたのであろう。