落語と酒⑪ 『目黒のさんま』
立秋を過ぎるとそろそろサンマの水揚げのニュースが聞こえてくる。「あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝えへてよ」で始まる「秋刀魚の歌」にあるように秋風とサンマは切り離せない。佐藤春夫にとっては「さんま、さんま さんま苦いか塩っぱいか」だが、落語の世界ではサンマは実に美味たるものになる。なにせ野駆けのお殿様(将軍様とする話もある)が賞味して忘れられない味になってしまったのだから。秋に北海道から東北、関東の太平洋岸で取れるサンマは、脂が乗っていて焼いて食べると実にうまいものだ。サンマはやっぱり焼くのが一番、それに柑橘類の汁をちょっと絞って食べると御飯なら何膳も、お酒なら何杯も入ってしまう。菊正宗か生酛系のお酒の燗がいい。
谷川俊太郎の詩に次のようなのがある。『ことばあそびうた』(福音館書店)より。
やんま にがした ぐんまの とんま
さんまを やいて あんまと たべた
まんまと にげた ぐんまの やんま
たんまも いわず あさまの かなた
ここでもサンマは焼いて食べている。サンマの油はDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)を豊富に含んでおり、血液をサラサラにしたり脳細胞の働きを活発化するなど栄養的にもすぐれた食品である。
サンマという名前の由来については有力な説が二つある。ひとつは、「サ(狭=狭い、細い〉」から「細長い魚」の意味の「サマナ(狭真魚〉」が「サンマ」に変化したとする説。もうひとつが、大群をなして泳ぐ習性を持つことから「大きな群れ」を意味する「サワ(沢)」と「魚」を意味する「マ」からなる「サワンマ」が語源となったという説である。「秋刀魚」という字を書くようになったのは大正時代からで、秋に旬を迎え大量に獲れることと、銀色に輝くその魚体が細い柳葉形で刀を連想させるためだ。「秋に獲れる刀のような色と形をした魚」という意味になる。
さて、落語の方だが、この話は5代目古今亭今輔の得意とする『ねぎまの殿様』と似ており、3代目三遊亭金馬が得意としていた演目である。この金馬、本名加藤専太郎は釣りが大好きで、『江戸前釣り師――釣ってから食べるまで』(昭和37年、徳間書店)という本まで残しており、テレビ番組にも出ていたことがある。空襲で亡くなった行きつけの釣りさお造りの遺児を引き取り、兄にはさお造りの修業をさせて独立させ、妹は林家三平に嫁がせた。これが海老名香葉子である。自分の息子の嫁は釣り餌屋からもらっている。私の住む佐倉とも縁があり、タナゴを釣りに来た帰り、鉄橋を渡っている時に列車にはねられた。昭和29年2月5日のことである。命は取り留めたものの、左足5指切断、左脚複雑骨折などで退院まで半年近くかかった。10月10日に帝劇の「金馬全快祝賀演芸会」で高座に復帰したものの座ることができず、前に釈台を置き膝を隠して演じるようになった。釣り好きということから「目黒のさんま」のような出し物が得意だったのかもしれない。
大家のお大名が目黒まで遠乗りに出たが、昼ころになり腹が減ってきた。そこへ旨そうな匂いが漂ってくる。殿様が何の匂いか聞くと、家来は「これはサンマというものを焼く匂いでございます。しかしこの魚は下々の者が食べる下衆魚、決して殿のお口に合うようなものではございません」と言う。殿様は「いざ戦におよんだ時などに、口に合うのどうのと言っていられるか。苦しゅうない」とサンマを持ってこさせた。目黒の片田舎のこととて、サンマを直接炭火にのっけて焼いた「隠亡焼き」と呼ばれるもので、頭や尻尾に炭や灰がくっついていたりするが、腹の減っているときでもあり、旬のサンマの焼き立てということでうまいのなんの。殿様は5、6本もお食べになり、満足して屋敷にお戻りになった。それからというもの、殿様はサンマを食べたいと思うがその機会がなく、うずうずしているところ、ある日、殿様の親族の寄り合いがあった。お好きなものがございましたらお申し出くださいというので、「余はサンマを所望する」。台所では大騒ぎの末、日本橋の魚河岸まで馬を飛ばしサンマを買ってくる。しかし、サンマの脂は体に悪いのではないかと蒸して脂をすっかり抜き、骨がお殿様ののどに刺さっては大変だと小骨を一本一本抜く。結局つみれにして椀の中に入れて出す。こんな出汁がらみたいなサンマがうまいはずはない。殿様「いずれで求めたサンマだ?」「はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました本場銚子のサンマでございます」「ううむ。それはいかん。サンマは目黒に限る」。
この落語から、目黒では平成8年から毎年サンマ祭りをやっている。目黒駅前商店街振興組合青年部主催で、サンマは岩手県宮古産、大根おろしは栃木県高林町産、徳島県神山産のすだちを使用、さらに付け合わせとして東京新高屋のべったら漬が振る舞われる。今年は第17回目となり9月9日(日)に目黒駅東口近くの駅前商店街で行われるので、お出かけになったらいかが? あわせて「目黒のさんま寄席」も開かれるので、本場の目黒で「目黒のさんま」を聞くのもいいかもしれない。食べ物も寄席もすべて無料とのこと。また16日(日)には目黒区民まつりの一環としての「目黒さんま祭り」がある。こちらは目黒川沿いの東京都目黒区立田道広場公園を中心に開かれ、サンマと大根おろしは宮城県気仙沼産、それに大分産のカボスをかける。
どちらも昨年は東日本大震災の影響で開催が危ぶまれたが、逆に頑張って開催にこぎつけ、復興の第1歩となった。宮古からは7000匹、気仙沼からは5000匹がそれぞれの会場に届いたとのことである。
最近は新鮮なサンマが手に入るので、刺身にしてショウガ醤油で食べてもうまい。また、千葉県の郷土料理といわれている味噌や大葉などと混ぜて叩いた「なめろう」、それを軽く焼いた「さんが焼」などという食べ方もある。ショウガやニンニクを入れて叩いてもよいが、山椒の実を入れたりする方法もある。その辺はお好みで。これには冷えた純米吟醸か白ワインが合う。
熊さん「ところでご隠居。この連載は『落語と酒』ということでやってるはずだけど、今回の咄はお酒を飲む場面は出てこないじゃないの。これでいいんですかい」。隠居「いいんだよ。殿様は親戚たちの集まりでサンマを注文しているだろう。こういう集まりでお酒を飲まないわけはない。殿様はサンマが出てくるまでちびちびやりながら期待に胸をふくらませて待っていたに違いないんだ。だいたい、サンマを食べるのに酒が無くっちゃやっぱり物足りないわさ」