落語と酒⑯『花見の仇討』

 だんだん暖かくなってきて、お花見が待ち遠しい季節となった。この月末ころが東京では見ごろだという。花見の落語はたくさんある。『長屋の花見』『あたま山』『花見酒』『花見小僧』『百年目』......。上野の寛永寺境内などで花見は行われたが、何といっても宮様がいらっしゃるお寺の中だけに、歌舞音曲はもちろん飲酒もご法度で、日暮れに入相の鐘が鳴ると門を閉めて追い出されてしまう。
・入相をおつもりにする花の山
・花盛り吹くより鐘は仇なり
 そこで8代将軍吉宗が、飛鳥山や隅田川の堤に桜を植えさせ、庶民が思う存分楽しめるようにした。隅田堤は細長いのでどうしても歩いて観る人が多くなる。そこで宴会などに人気があったのが飛鳥山だった。元文2年(1737年)閏11月に、吉宗による事績を顕彰するための「飛鳥山碑」が建てられた。この碑の文を書いたのは吉宗の侍講成島道筑、書は尾張の医者山田宗純。碑文には熊野の神々のことや、元享年間(1321~23年)に豊島氏が王子権現を勧請したことや、王子・飛鳥山・音無川などの地名の由来などが記され、吉宗が植樹させたことなどが書かれている。しかし、わざと異体字や古字を用いたり、石材の傷を避けて文字を斜めにするなど、難解な碑文だった。早くいえば、この碑は読めないということで有名だったのである。
・何だ石碑かと一つも読めぬなり
・李白だと見えて石碑を読んでいる(李白は「酒一斗詩百編」といわれた大酒飲みの唐の詩人)
・碑も読めぬ李白の多い花の山
・飛鳥山どなたの碑だとべらぼうめ
・飛鳥山石仏かとたわけ者(石碑を仏様だと勘違いしているバカ者もいる)
・飛鳥山何と読んだか拝むなり(難しい石碑の文字をお経の文句とでも思ったのだろうか)
・この花を折るなだろうと石碑見る(読んでもわからないのであてずっぽうな解釈をしている)
 江戸時代は「茶番」が盛んだった。寛永から享保のころに、大部屋の役者が交代で餅番、酒番、茶番などと接待役を決めて楽屋にきた人をもてなした。そのうちに、ただ飲んだり食ったりではつまらないと趣向を凝らし、即興劇を始めるようになったもの。これが吉原などを通じて広まり、江戸の町内でも素人芝居が頻繁に行われるようになった。下手な芝居を「茶番劇」というのもここからきている。それを描いた『蛙茶番』『二階ぞめき』などの落語もある。
・上野の桜に肩を並べる飛鳥山のにぎわい。王子近所の若い者、飛鳥山へ花見の趣向。そこでは義太夫、ここではめりやす(明和・安永期にはやった長唄の一種)、テツツンツンの音に浮かれ、「門十郎や、おらもここらで一ぱい呑むべい」「呑みなさろう」と、貧乏樽の口ひらき、「酒の肴に、役者の声色をつかうべいかの」「よしやれ、外聞の悪い。似もしないに」と言えば、いま一人の連れ、「酒の肴ならば、なまでもよかろう」。(花見「近目貫」)
 『花見の仇討』では、花見の茶番として飛鳥山(上野という演出も)で敵討ちをしかけようとたくらんだもの。仇の浪人1人に巡礼兄弟の仇討ち、それを止める六部と計4人が出演する。六部というのは六十六部の略で、法華経を入れた笈(おい)を背負って全国六十六カ国の霊場に1部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴する。ただ、それを名目とした乞食も多かった。
 計画では、花見の山で人出の多いころ、編み笠をかぶった仇が木の下で煙草を吸っているのに、巡礼が煙草の火を借りに行く。そこで仇とわかり、二人が「親のかたき」と大声で叫び真剣で丁々発止とやり合う。そこに六部が仲裁に入り、その笈の中から酒肴を出して、お開きとなる。これが花見の趣向だとみんなに分かり、評判を取ろうという目論見。
 ところが、いざ本番になると、巡礼兄弟は道々仕込み杖で練習をしながら歩いていて、酔っぱらった武士の頭に杖がぶつかり、無礼討ちだと脅される。仇を捜していると言い訳すると、連れの武士が「その時は助太刀いたそう」と勘弁してもらう。一方、六部は耳の遠いおじさんとばったり出会い、その格好の訳を説明するがなかなか通じない。やむを得ず笈から酒を出して、おじさんを酔いつぶすつもりが逆に酔いつぶれ、寝てしまう。
 巡礼兄弟が飛鳥山に着くと仇役は待ちくたびれていた。練習の通り、「親のかたき」と怒鳴ると花見客は回りに集まってくる。ところが仲裁の六部役が来ないのでもたもたしていると、先ほどの武士が助太刀だと言って加わってきた。茶番の中に本気の武士が入り、3人がおたおたしていると、「スキがある、そこをねらえ」と助言。困った3人はそろって逃げ出す。「どうして逃げる、勝負は五分と五分だぞ」「肝心の六部が参りません」。
 原作は滝亭鯉丈の「花暦八笑人」。文政3年(1820年)の初編から天保5年(1834年)の四編追加までが鯉丈の作。五編は別の作者で嘉永2年(1849年)に刊行された。暇で遊び好きな江戸っ子8人が集まって茶番を始める話で、飛鳥山のほかにも両国橋などで茶番をやっては失敗する。
 現代でも芝居をやってみたい人は多いようで、昨年も4月に、どなたさんだかがシェークスピアの『夏の夜の夢』に挑戦して色々お騒がせしたそうですが......。