落語と酒㉒按摩の炬燵

 1890年(明治23年)9月16日の夜、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が台風に巻き込まれ和歌山県串本沖で遭難した。海に投げ出された656名の乗組員のうち、587名は行方不明、または死亡。かろうじて岸に泳ぎ着いたものは体が冷え切っていたが、当時の大島村の村民は総出で救援に当たり、自ら裸になって遭難者の体を温め、69人が救出されたという。この大惨事に対する村民の救助活動や、生存者をトルコまで送り届けた政府の対応などによって、トルコ人にとって日本と日本人に対する印象は極めていいものとなった。
 体が冷えてしまった人にとって、他の人の体温が大変温かく感じるものだ。これを落語にしたのが『按摩(あんま)の炬燵(こたつ)』である。元は寛文12年(1672年)の『つれづれ御伽草』、ついで貞享4年(1687年)に出版された笑話本「はなし大全」に掲載されている以下の話である。
・大阪の鴻池、大まわし(遠距離の回漕)に酒を一艘積み、上乗り(監督)に手代(丁稚と番頭の間の役職)を差し添え江戸へ下らせる。頃は十二月の初め、海上のこととあって、とりわけ船中は寒かった。この手代、虚症(虚弱体質)で、手足が大変冷えたので、どうしようかとつぶやく。乗合の中の一人が「大酒飲みに酒を飲ませ、あなたの手足を腹の上に置き給え。火燵よりいいはずだ」と言う。手代よろこび、「あなた、お酒を飲むならば、振舞いましょう」「いかにも、火燵になりましょう」と酒したたかに飲みて、「もはや炭がおこりました。あたり給え」といふ。「さらば」と手足を入れ、上にふとんを打ちかけける。まことに炭火と違い、熱くなりすぎることもなく、ほこほことして、いいようがない。かの上戸は酒に酔い、とろりとろりと寝ていた。酒の酔い、醒めるにしたがい、温まり薄らいできた。手代、上戸を起こして、「しだいに冷えてきましたが、いかがしましょう」と言えば、上戸「炭がなくなりました。また、炭をつがせられよ」。(船中の火燵)
 落語では、冬の寒い晩の大店が舞台となる。丁稚たちが寒くて眠れないので布団を貸してもらいたいと番頭に要求する。番頭としてはそうした要求をいちいち旦那様に取り次ぐわけにはいかない。そこで、番頭は奥から布団を借りないで暖まる方法を考える。ちょうど奥に来ていた按摩が酒好きなことから、酒を飲ませて体温を上げ、その体に触って温まろうと提案する。按摩はその提案を受けて炬燵代わりになる。丁稚たちは温かく眠れるが、そのうちの一人が寝小便をしてしまい、大騒ぎ。もう一度お酒を飲んで炬燵になってもらおうと頼むが、「今の小便で火が消えてしまいました」。
この演目は8代目桂文楽が得意としていた。文楽はほかにも、『心眼』『景清』など、盲人が出る話が得意だった。ある時、ラジオ東京(現TBS)で放送したところ「盲人を炬燵にした挙句、小便まで掛けるとはひどすぎる」という抗議の投書があったとのこと。それ以来、文楽は二度とこの演目をラジオではやらなかったという。たしかに、炬燵になるのが按摩である必然性は必ずしもない。「船中の火燵」でも、乗り合いの一人である上戸が炬燵になっている。このため、文楽以降、この噺をする人はほとんどいなくなっている。
同類の小咄もいくつかあるが、犬を炬燵にしたのがこの噺。
・雪の降る日、浪人者のところへ友達の浪人、咄に行って、見れば炬燵にあたっている。友達「これ、貴様はおごっているの」「イヤ、おれがいろいろ考えて、犬に羽折をかぶせて、腹へ足を押付けているが、暖かでなんとも言えない。ちと貴様もあたってみやれ」「コレハおもしろい案じゃ」とその男もあたろうと思って、足を入れれば、犬、知らない足が入ってきたので、ワンと食らい付けば、「ヲゝあつあつ」。(浪人ごたつ「再成餅(ふたたびもち)」)
・北風激しく雪ふる夜、宿無しの乞食ども大勢集まり、「なんとけしからぬ寒さだ」と、薦(こも)をたくさん集め、周りを囲い、「サアこれでちっと暖まったけれども、足の冷たいのには困ったものじゃ」と言えば、中に気転なやつありて、「どれどれいい方法がある」と近所の犬四五疋抱いて来て、その下へ足を入れて寝れば、ことの外暖かなので、皆々寝入ったが、夜半に一人が大声をあげれば、皆々驚き目をさまし、「何事だ」と言えば、「いまいましい。炬燵に食らいつかれた」。(乞食「鯛の味噌津」)
川柳にも
・宿なしのこたつおこるとくらいつき
というのがある。
江戸時代以前は仏教の影響で四足の動物の肉は食べなかった。しかし、薬食いと称して、あくまで体力のないものが薬として食べることはできた。
・ある男、薬食いが大好きで、「四足のものなら何でも食べる」と豪語する。本当かと念を押すと、「炬燵だけは食べない」という。どうしてかと聞くと「あたるから」。
炬燵は男女の出会いにも一役買う。中が見えないだけに、手や足が触れることもあり、密事の発端にもなりえたわけだ。落語の枕などに出てくるのは、若い女のお師匠さんの家で炬燵にあたる場面。男2人と師匠さんが炬燵にあたっている。男がそろそろと手を出してこたつの中で触れた手を軽く握ると相手も握り返してくる。もっと握ると相手もギュッと握り返す。お師匠さんは自分に気があるのだといい気になっていると、お師匠さんはつっと立って行ってしまう。もう一人の男と握り合っていたのだった。
炬燵を通じての訴えもある。
・ひとり息子、「こたつを三角にしなさい」と言う。両親聞いて、「あほうなやつじゃ。三角なこたつがあるものか」といへば、「でも、四角では、無駄じゃ」と言うとき、おふくろ「待て待て、近い内に(嫁を)呼んでやろうぞ」。(火燵「再成餅」)
 生活の洋風化に伴い、和室が減り、炬燵もだんだん珍しいものになってきているが、家族が集まる団欒の場所としての炬燵は日本の文化でもある。炬燵にあたって湯どうふでもつつきながらお燗酒を飲みたいものだ。